阿部利勝・洋子 |
ごぶさた致しております。みなさんお元気でしょうか。
剛裕君からの手紙 以前この通信で『山間地農業に学ぶ』と題してご報告申し上げましたように、私は庄内平野の余目からは車で一時間くらいの最上郡大蔵村の棚田(20・程)を柳淵の村の住人と共同耕作いたしております。 利勝父ちゃんへ 送っていただいたお米、ゼミ一同で炊いて食べました。本当においしかった。自分たちで育てた米だと思うと余計においしかった。おかずと酒を持ち寄り、大学の教室に炊飯器や鍋を運び込んで、一年間の思い出話等をしながら楽しい時間を過ごすことが出来ました。思えば、農作業の体験などほとんどない僕たちが、五月の田植え、七月の草取り、十月の稲刈りと、無事に稲作を行うことが出来たのは、皆さんの助けがあったからです。。考えてみると、一年間のうち、僕らが大蔵村に行って作業したのはたったの三回ですから、まさにほったらかし農法だったのではないでしょうか。それでもあんなに立派な米が出来上がってしまったのですから、ほんとうにありがたいものです。 中央大学中沢ゼミ 佐藤 剛裕 剛裕君へ どーっと、返事(しょうもない通信)書くの遅くなってしまいました。昨年中にいただいたのに、まったくしょうもないオヤジです。お便りどうもありがとう。たいへんうれしく拝見いたしました。剛裕君は昨年の春夏秋、それに今年の冬と(2月)5月、山形の四季をまたぐようにやってきましたね。 種、苗といちおう二つの踊りを観ていただきました。すすきのシアターという一種独特な空間のなか、「よっ、としかつがんばれ」「あべちゃん、いいぞ」「すごく、よかった」などど中沢先生はじめみなさんからおだてられて、種が芽を出してしまった、二階に登ったらはしごを外されてしまった、そんな感じです。 では、また。お元気で。
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稲を舞う
「種」を演ずる私 |
「ご飯がおいしい」とつくづく思う。それは自分の家で作った米がというわけではなく、他市町村どこで食べようとそう思うのであります。 あー、このままでいきますと、日本で百・の米の自給は無理だと思います。これは現場に携わっている者の実感であります。それは、それは誰かが意欲をもって取り組んで米を作るでしょう。それでも2、3割は輸入に頼らざるおなえなくなると断言してもいい。日本米はまったくもって世界ではマイノリティー。歳を取ってうっかり公的な施設にでも入った日には、私の愛したお米は口にできず、まことにみみっちいといわれそうですが、あーそれだけで生きる糧を失ってしまいます。 さあさあ、よってらっしゃいみてらっしゃい、稲の踊りだほいさっさ。私の身体は米をたらふく食った有機体。鐘や太鼓の踊りもいいけれど、たまには変な踊りも見てちょうだい。種になります苗になる。苗になります稲になる。稲になります穂が稔る。稔った籾はどうしましょ。食べてくださいばくばくと。そうして私はまた種になります。さあさあどうかお客さん。こんどはあなたが種を蒔く番、ほいさっさ。ではではみなさんごきげんよう。 山形県東田川郡余目町西野94 農民舞踏家(?) 阿部 利勝
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としかつ父ちゃんのしょうもない通信 1994.9.26号 1995.7.14号 1995.9.17号 1996.1.20号 1996.9.14号 1998.6.17号 1997.7.20号 1997.9.26号 グループ稲便り 1996.8.25号 1997.11.19号 |