「農機具詩集」

 稲作ダンス公演を終えた'99 年の年に詩のボクシング(注1)に出会った。農機具、稲作にまつわる詩を朗読して、あれよあれよと決勝まで残った。20 代前半までちょぼちょぼと詩を書いていたが、やめた。現在書いている詩は、踊りのための「振付」や朗読のための言葉である。農機具ダンスのはじまりであった。

農機具詩集

 昭和51年に高校を卒業。そのとき家にはトラクター、田植機、コンバインはすべて揃っていた。適当に洗って倉庫にしまおうとすると、いまは亡き祖父が、「待で待で」といって私がそまつに洗車した農機具を、もう一度ていねいに洗ってくれた。
 そして薄暗い倉庫のなかで来年までの出番を待つのであった。
 余目町は稲作中心の農家が多い。稲作りの設計みたいのは親父がやっていて、後継者の若者の多くは、手始めにトラクター、田植機、コンバインの農機具運転手が田んぼ仕事のメインだった。
 町の青年団で農機具の話題で盛り上がる。俺のトラクターは何馬力の新車でいくらしただとか。その後継者はいまでも村では若者で、あいもかわらず農機具の話題になる。借金をどうするかという違いはあるのだが。
 ある日、1 通の手紙が届いた。そのなかにまだ耕運機が日本に普及する前の若い農民の詩が載っていて、機械が大地を開墾していく内容だった。そこに描かれていたのはまぎれもない「夢の農機具」そのものだった。
 その夢の延長に私と農機具がいる。それを詩とダンスにしてみた。
 「農機具きれいに洗ってますか」って、うーんそれがさささっと済ますんです。これが農業経営悪化の一因でもあるような気もします。

注1)詩のボクシングとは、ボクシングリングにみたてた舞台で、二人が交互に自作の詩を3分以内に朗読し、どちらの言葉が届いたかをジャッジが判定する「言葉の格闘技」